格闘家、実業家、教育家、ライフコーチ…4つの顔を持つ男、関根朝之誕生物語

はじめまして、関根朝之と申します。

この記事では、私のことをはじめて知った方に向けて自己紹介をさせていただきます。

@shachono_nawa 強くて優しく人になろう。#社長 #社長の名は #株式会社ヒューレボ#関根朝之 ♬ Ghibli-like piano solo ballad(957146) – tomori

大学生の時、キックボクシングで史上2人目の二階級制覇を達成。

日本ランク最高2位を記録した現役のプロキックボクサーです。

今も日本一を目指して日々練習しています。

↑友人が作ってくれたドキュメンタリー動画。

他には、『hu-ReVo』という”日本一モデルが通う”パーソナルトレーニングジムの経営をしています(池袋と新宿に店舗を構えています)。

私自身がこれまでトレーナーとして、何人もの有名モデルのトレーニングを担当してきました。

2020年7月現在、会員様のSNS総フォロワー数は700万人を超えています。

さらに、関連事業として脂肪燃焼に効くサプリ、化粧品の代理販売や、筋トレのお供に最適なタンパク質豊富なお弁当の開発に携わったり。

また、『ライフコーチ』として、うつ病患者、主婦、アスリート、モデル、経営者などのメンタルコーチングを実施。

クライアントの目標達成や課題克服に対して、日々本気で向き合っています。

2022年8月には、大手出版社のKADOKAWAさんから初の著書、

『1日中、最高のコンディションが続く!脳を鍛える超呼吸法』

を出版しました。

書籍の詳細はコチラ

また、コーチングの延長で、企業向けの研修や、経営者向けに人材育成や社員のパフォーマンスを向上させるコンサルティングも実施しています。

さらに、これまでの人生で得た知識や経験を子どもたちに伝えようと、小学校で講演させていただいたりもしています。

いろいろやりすぎて、最近は自分の”本業”が何なのかわからなくなって来ています(笑)。

ただ、無理やりこれらのことをやってるわけではなく、すべて自分が「心からやりたいこと」をやっているので、今は毎日が本当に充実しています。

ですが、私は昔から強かったわけでも、優秀だったわけでも、ましてやビジネスの才能があったわけでもありません。

むしろ、子供の頃は運動神経が悪く、体脂肪率が30%以上ありました。

勉強も全然できず、成績はいつも下から数えたほうが早かったです。

それらが原因で、子供の頃は自分に自信がなく、泣き虫でいじめられっ子でした。

学校に行けば毎日のようにいじめられるのが辛く、

「こんな人生だったら死んだほうがマシなんじゃないか」

と、本気で自殺を考えたこともあります。

そんな劣等感まみれの自分でしたが、筋トレや格闘技をはじめたことで徐々に心と身体が強くなっていき、自分に自信がついたことで人生が変わりました。

今では「目標に向かって正しい努力をすれば、できないことなんてない」と思っています。

そのような経験から、現在の私は

「心と身体が変わることで、人生が変わる」

というコンセプトで先述したような活動を行っています。

人が変われば世界が変わります。

そして、最終的には「世界平和」を本気で実現したいと考えています。

ちなみに、成功するためには高度な知識を学んだり、高い能力や専門スキルを身につけなければいけないと思ってる人が多いですが、そんなことはありません。

もちろん、能力が高くてスキルがあるに越したことはないかもしれませんが、私が見てきた人生を最高に楽しめている成功者たちは、能力的には決して高くない人のほうが多いです。

その代わり、圧倒的に人間としての器が大きいと感じます。

器が大きいからこそ、逆境にも屈せず常にポジティブに力強く進んでいくことができるし、その魅力に惹かれて周りに自分を応援してくれる人がたくさん集まってくるし、そして最終的には運をも味方につけてしまいます(笑)。

では、彼らの器の大きさがどこから来るかと言えば、

健全な心と身体

があってこそ、なんですよね。

逆に、どんなにお金があっても、身体が健康じゃなかったり、心が満たされていない人は思いの外多いです。

いつも体調が悪かったり、お金がなくなっていまうんじゃないかと不安を抱えていたり、ちょっと自分の上手く行かないことがあるとイライラしたり、それが原因で周りの人たちとの関係が悪くなってしまったり。

そういう不安や恐怖に支配されている人は、真の成功者ではないですよね。

心と身体、つまり自分自身の内面を変えることで、はじめて真の幸福な人生を歩むことができます。

私も心と身体を変えたからこそ、人生が変わりました。

身体を鍛えていたから仕事でも人よりハードワークできましたし、
心に余裕があったからこそ、目の前に訪れたチャンスを落ち着いてものにできましたし、
信頼できる仲間や最愛のパートナーにも出会うことができました。

健全な心と身体を持つ人のところには、自然と多くの出会いとチャンスが舞い込むものです。

だから、心と身体を変えれば誰でも人生を変えることはできると信じていますし、その可能性をこれからも伝え続けて行きたいと思います。

そして、私がこのような活動をする上で、私の過去の経歴を共有しておくと、より話が理解しやすくなると思うので、少しばかり私の過去の物語を今から共有させていただこうと思います。

ーーーーーーーーーー関根朝之物語ーーーーーーーーーーー

小学生〜クラスメイトからいじめを受ける

小学生の頃は、今の自分からは想像できないくらい劣等感の塊でした。

成績は下から数えたほうが早く、運動もできない。

体力テストでも最下位レベル。

勉強はともかく、当時は運動ができない自分がとにかく嫌いでした。

足が早かったり、ドッジボールやサッカーが上手い子たちが超うらやましかったです。

彼らはクラスの中心で、人気者。

それに対して当時の私は性格もおとなしく、コミュニケーションも苦手で、仲の良い友だちはほとんどいませんでした。

そして、私はある日を境に、クラスメイトからいじめを受けるようになります。

最初は上履きや、筆箱を隠されてからかわれるくらいでしたが、そのうちちょっとしたことで、殴られたり蹴られたりするようになりました。

そんなある日、事件が起こりました。

小学4年生の時、あろうことか私は同じクラスの”女の子”にまでいじめられてしまったのです。

向こうは私を見つけるやいなや、私のお腹にいきなり飛び膝蹴りを食らわせてきました。

ミゾオチの下くらいに鈍い痛みを感じ、私はその場でうずくまりました。

普通の男の子なら、こんなことされたら速攻で蹴り返すでしょう。

しかし、私はただただじっと痛みを堪えることしかできませんでした。

いつも母親から、

「女の子に乱暴してはいけない」

と口酸っぱく言われていたからです。

しかし、行き場のない怒りとやり返せない悔しさから私はその場で号泣してしまいました。

その一部始終を見ていたクラスメイトが「関根くんがいじめられていました」と担任の先生に伝えたことで、急遽帰りのホームルームでそのことが議題に上がりました。

幸い、当時の担任の先生はとても熱い人で、いじめてきた女の子に対して、二度とそんなことをしないようにと叱ってくれました。

しかし、問題は次の日の体育の時間に起こりました。

その日は運動会の練習で隣の列の子と手を繋ぐタイミングがあったのですが、私が手を繋ぐはずの女の子が、

「女の子にいじめられてる男とかマジで引くわ」

と、私と手をつなぐのを拒否してきたのです。

私は深く傷つきました。

そして、なぜ自分がこんな辛い目に会うのかを考えました。

俺が弱いからこうなっちゃうのかな?」

強くなればこんなことにならないんじゃないか。

そこで、弱い自分を変えるために、私は筋トレを始めました。

当時の私は運動神経皆無で、スポーツなど全くできなかったのですが、それ以上に体脂肪率が30%もあるおデブちゃんで、自分に対して全く自信がありませんでした。

そこで、まずは「見た目」から改造していくことにしたのです。

トレーニングを3ヶ月、半年、1年と続けていると、だんだんと筋肉がついてきて、みるみる自分の身体が変わっていくのがわかりました。

中学生~「こんなに辛い人生だったら、死んだほうがマシ」

筋トレを続け、身体は小学生の頃に比べるとだいぶ逞しくなっていました。

体脂肪率が30%もあった身体が、だんだんと痩せて締まった体つきになり、中学の頃には体脂肪率も10%代まで落ちました。

「こんな自分でも、努力すれば変われるんだ」

それまで自分は勉強もスポーツも、何をやってもダメだと思っていたのが、トレーニングで身体が変わったことで、自信がつきました。

これが私にとって、人生における初めての成功体験でした。

しかし、小学校を卒業し、中学生になっても私はいじめられていました。

理由は私がいじめっ子たちからどんなに殴られたり、蹴られたりしても、相変わらず無抵抗だったからです。

「どんな理由があろうとも人を傷つけてはならない」

仏教徒だった母親からはいつもそう言われて育ちました。

私はその教えを守り、どんなに暴力を振るわれようと、ずっと耐え続けていました。

そんなある日、私は翔太という当時学校一の暴れん坊に目をつけられ、全身がアザだらけになるまでボコボコに殴られました。

もちろん、私が何か悪いことをしたわけではなく、向こうの虫の居所が悪かったのか、ただ一方的にボコボコにされてしまったのです。

「なんで自分がこんな目に合わないといけないのか?」

あまりに理不尽なんじゃないか。

私はたまらずそのことを母親に相談しました。

すると、思いも寄らない言葉が返ってきました。

「翔太くんの分まで祈ってあげましょう」

私は耳を疑いました。

・・・は?なんで自分をボコボコにするヤツのために祈らないといけないんだよ?

ですが母親曰く、きっと翔太も苦しんでいるんだと言うのです。

実際、後で聞いたら、当時の翔太は家庭内暴力を受けていました。

兄から毎日のように暴力を振るわれていたそうです。

その反動から、学校では弱い者いじめをしていたわけですね。

ただ、当時の私はそんなこと知るよしもありません。

だから、母親の言うことがどうしても腑に落ちませんでした。

でも、当時の私にとって親の教えは絶対。

人の道に背くことはしてはいけない。

どんな理由があろうと人を傷つけてはいけない。

それが正しい道なんだと、自分に言い聞かせるしかありませんでした。

ただ、それが私にとってはストレスで、毎日繰り返されるいじめと暴力がとにかく辛く、

「こんなに辛い人生だったら、死んだほうがマシなんじゃないか…」

と、本気で思うほどでした。

そんなある日、授業の合間の昼休みに一人で机の上でお弁当を食べていると、いつものようにいじめっ子たちが絡んできました。

嫌な予感がしました。

黙っていじめっ子たちがいなくなるのを待っていると、その中の一人が急に机の上の鉛筆を取り、それを私の人差し指に勢いよく突き刺してきたのです。

「いっっっつ…」

私は鋭い痛みに思わず絶叫しました。

「痛い…」

痛みに悶える私を見て、いじっめ子たちは手を叩いて笑っていました。

(すぐに保健室に行き消毒したので大事には至りませんでしたが、私の指には未だにその時に刺さった鉛筆の芯が一部抜けずに残っています)

この事件で私の中で何かが切れました。

中学3年生~押し殺していた感情が爆発し不良になる

それまでの私は自分で言うのもあれですが、非常に真面目な人間でした。

人の道に背くことはせず、人として真っ当に生きていこうと思っていました。

それが家族の願いでもあったからです。

でも、そんな理想を持って生きるには、現実はあまりに非情でした。

繰り返されるいじめと暴力で、私の心と身体は限界を迎えていました。

自分は相手のことを思って我慢してるのに、自分は傷つけられる一方。

「こんなのおかしいだろ!!!」

「鉛筆事件」をきっかけに、そんな積年の抑うつされた感情が爆発しました。

小学生以来ずっと続けていたトレーニングの成果もあり、中学3年の時には誰にも負けない腕力を手にしていた私は、その「力」を使い、自分をボコボコにしてきた奴らに次々と復讐していきました。

気づけば、それまでのおとなしく真面目な私の影はなく、毎日のように喧嘩に明け暮れる不良になっていました。

時には登校中に隣の学校の不良たちが私をボコろうと大量に待ち伏せており、まさに漫画さながらの抗争劇を繰り広げたこともありました。

それでも、「人を傷つける」ことに対して、リミッターの外れた私が負けることはありませんでした。

ただ、この時の私は人生で一番心が荒んでいました。

誰も信じることができず、毎日とにかくイライラしていて、1ミリも幸福感を感じることはありませんでした。

人生の師匠と出会う。「本当に強い男」を目指す決意をする。

高校生になっても私の非行ぶりは相変わらずでした。

そんな私を見かねた母親が、家にある男性を連れてきました。

その男性は今は建設会社の社長をしており、昔は暴走族の総長だったそうです。

ただ、実際に話してみると、そんな面影を微塵も感じないほど、めちゃくちゃ優しい人で、人生に絶望していた私のために、いろんな話をしてくれました。

その中で一番印象に残っている言葉があります。

「人に手を出すのは弱いヤツのすることだ」

私はその言葉にはっとしました。

元暴走族の総長曰く、自分に自信がないから力に頼ってしまうんだと。

本当に強いやつは自分に確固たる自信を持ってるから他人を力で倒そうとなんてしない。

逆に心に余裕があるから、弱ってる人間を助けようと優しく手を差し伸べられる。

「おまえもそれくらい強い男になれ」と言われました。

その言葉は私の荒んだ心にすーっと染み渡りました。

「自分も大人になったら、この人みたいに強くて格好良い男になりたい!」

自分が目指す道がはっきりしたことで、喧嘩に明け暮れる日々は終わりました。

そして、その日からその人が私の人生の師匠となりました。

人生の師匠との出会いをきっかけに、暗かった私の人生が少しずつ明るいものに変わって行きました。

格闘技をはじめる。大学時代に念願のチャンピオンに

高校2年生になると、私は「強い男」になるために、以前から興味のあった格闘技を本格的に始めました。

強い男になる=格闘技でチャンピオンになることだと思ったからです。

そこで、高校では柔道を始め、大学からキックボクシングに転向しました。

キックボクシングを始めた理由は『はじめの一歩』を読んで、純粋に「かっけー」と思ったから(笑)。

それと、進学した大学のキックボクシング部が、何度も大学日本一を達成した強豪だったからです。

「ここで絶対に日本一になってやる」

私はただそれだけを胸に、毎日ひたすら練習に明け暮れました。

本当に誰よりも一番練習したと思います。

結果、大学2年の時に全日本学生キックボクシングのフェザー級で優勝。

さらに、部の主将として臨んだ大学3年の時にライト級で優勝し、史上2人目の二階級制覇を成し遂げることができました。

格闘技をはじめてからずっと思い描いていた夢が叶った。

優勝した時は、達成感と嬉しさでいっぱいでした。

ただ、今でも唯一心残りなのが、個人では勝てたけど団体戦では優勝できなかったことです。

正直、当時の私は自分だけが強くなれば良いと思って練習していました。

でも、振り返ってみると、自分が二階級制覇を達成できたのは、間違いなく一緒に汗を流した部員たちのおかげです。

一人では絶対に成し遂げることができなかったと思います。

結果的に自分は優勝できたわけですが、いくら自分一人が勝っても、その喜びというのは部員皆で掴み取った団体戦の勝利には遠く及びません。

キャプテンが終わる直前になって、ようやくそのことに気づきました。

当時のことを思い出すと、まず真っ先に頭によぎるのは、

「キャプテンとして、もっとチームを強くすることを考えていれば…」

という想いです。

あの時の部員たちには申し訳ないことをしたと、今でも思っています。

この大学時代の経験と後悔が、

「仲間全員で勝つ」

という、私の現在の理念に繋がっています。

2018年〜プロ転向。大ケガで死にかけるも日本ランキング2位へ

大学を卒業後、プロに転向しました。

目標はもちろん「日本一」になること。

ただ、プロの世界は甘くなく、デビュー戦から2連敗を喫すなど、最初は苦しみました。

でも「自分のような才能のないヤツが日本一になることで、応援してくれる人たちに感動を与えたい」と思ってプロになったので、諦めるという選択肢はありませんでした。

キックボクシングの面白さは、やればやった分だけ目に見える結果が返ってくること。

負けたことには必ず原因があるので、次の試合までに見つかった自分の課題を克服するために、一生懸命練習する。

そうすれば、必ず勝てるわけではありませんが、確実に成長します。

それがすごく楽しいです。

トレーニングは本当に辛いですし、正直逃げ出したくなる日もあります。

ただ、苦しいトレーニングを積めば積むほど、成長に繋がることを知っているからこそ、頑張ることができます。

あとは日々自分を支え続けてくれる家族や応援してくれる仲間、自分をここまで育ててくださった師匠に、勝利という「結果」で恩返ししたい。

そうして日々鍛錬した結果、プロ転向して3戦目についに初勝利。

それからようやく勝ち星に恵まれ始めますが、試合のたびに何度もケガに見舞われたり、時には試合中に肋の骨が折れて肺に突き刺さり、大量の血を吐いて集中治療室行きになったこともありました。

あの時はマジで生死の境をさまよいましたね(苦笑)。

が、そうした逆境を乗り越え、
2018年には日本ランキング2位を記録しました。

この結果は私ひとりのものではなく、自分を応援してくれた人たち全員で掴み取ったものだと思っています。

ただ、まだ「日本一」という目標は達成できていません。

これからもチャンピオンになるべく挑戦を続けて行きます。

大手トレーニングジムのトレーナー時代に、お客様の友人が自殺

また、大学を卒業後はプロのキックボクサーとして活動すると同時に、某警備会社に就職。

そこでは光栄なことに社長賞を受賞することができました。

その後、独立起業を見据えて大手トレーニングジムに転職し、パーソナルトレナーとしてのキャリアをスタートしました。

現役のプロキックボクサーという肩書きもあってか、経営者やモデルなど、多くの方からご指名をいただくことができました。

↑トレーニングを担当したモデルの推薦で『ageha(2018年4月増刊号)』のトレーニング特集を監修しました。

そうした働きが評価され、3年で副社長まで上り詰めました。

ちょうど同じ頃にキックボクシングの日本ランキングが2位になり、まさに順風満帆でした。

しかし、そんな時、ショックなできごとが起こります。

当時トレーニングを担当していたお客様の友人が自殺してしまったのです。

自分にとってはそれが、他人事だとどうしても思えませんでした。

いじめにあい、毎日生きるのが辛かったあの頃、もし、自分もあのまま誰にも手を差し伸べられなかったら、自ら命を絶っていたかもしれません。

また、試合中に肋骨が折れて肺に突き刺さり、顔面の神経が壊れて集中治療室で生死の境を彷徨った時、「死」について考えさせられました。

「人はいつか死ぬんだな」と。

もしかしたら明日死ぬかもしれない。

だったら、どうしたら人は後悔なく生きれるんだろう?と。

それまで私は常に「人と比べる人生」を生きていました。

誰よりも強くなりたい。
誰よりもお金を稼ぎたい。
誰よりも良い暮らしがしたい。

・・・でも、明日死ぬとしたら、そんなものを臨むだろうか?

振り返ると、自分はすでにたくさんの大切なものを手にしていることに気づきました。

家族、仲間、恩師。

彼らと過ごす時間は何にも代えがたいものです。

そして、自分は今、自分がやりたいこと、好きなことを思う存分できている。

「今、この瞬間、自分は人生を謳歌してるじゃないか!」
「超幸せじゃないか!」と感じました。

人生がつまらない、希望を持てない、誰も信じられない。

そんなどん底の人生だった自分でも変わることができた。

だったら、今死ぬほど苦しい想いをしてる人だって変われるんじゃないか?

自分には、その人たちが人生を変える手助けができるんじゃないか?

これらのできごとは、自分が人生において本当にやるべきことは何なのかを、見つめ直すきっかけになりました。

独立〜池袋と新宿にパーソナルジムを開業&ライフコーチへ

考えた結果、私が人生をかけて成し遂げたいこと、それは世界平和でした。

私は幸いにも出会いに恵まれたおかげで、絶望に閉ざされた人生を変えることができました。

ただ、世の中には、様々な問題を抱えて、辛くて孤独な長いトンネルから抜けられずにもがいている人達がたくさんいます。

・うつの症状が消えない
・人間関係に問題を抱えている
・仕事が上手く行かない
・自分のやりたいことがわからないなど…

そんな人たちに人生を変えるきっかけを与えたい。

ひいてはそれが世界平和に繋がると考えました。

私自身がもともとどん底の人生で、そこから少しずつ自分を変えて行きました。

だからこそ、弱ってる人の気持ちもわかるし、そこからどう立ち直っていけばいいか、実体験を元にアドバイスできます。

また、パーソナルトレーナーとして身体の専門家であると同時に、「マインドフルネス」の技法にも精通していることから、心と身体の両面から、その人の人生を良くするサポートができます。

参考記事:人生が劇的に変わる!『マインドフルネス』の効能と具体的な実践方法

人生が劇的に変わる!『マインドフルネス』の効能と具体的な実践方法

今思えば、友人や当時担当していたお客様にいろんな人生相談をされる中で、自分の悩みの根本原因に気づかせて改善に導くような、コーチングのようなことを昔からやっていました。

「これが自分の天職なんじゃないか?」
「もっともっと自分は彼らの力になれるんじゃないか?」

そう思い、本格的にコーチング技術を学びはじめました。

その過程でイチロー選手やジョブズも実践して成果を出していた『マインドフルネス』に出会い、現在は『マインドフルネス認定講師』として、マインドフルネスの技法や考え方を取り入れたコーチングを実施しています。

ただ、会社や組織の枠組みの中で、自分の理想を実現していくのには限界があります。

そこで、自分の夢を存分に追いかけられる環境を求めて、独立することにしました。

2018年、池袋と新宿に「身体が変われば心も変わり、やがて人生が変わる」をコンセプトに掲げるパーソナルトレーニングジム、『hu-ReVo』を開業。

ありがたいことに、会社員時代からお付き合いのあった経営者の方や、モデルの方が多く会員になってくださいました。

特にモデルやインフルエンサーの会員様が多く、会員様のSNS総フォロワー数は2020年現在で700万人以上。

創業2年も経たないうちに「日本一モデルが通うジム」となりました。

ただ、私はまだまだ現状には1ミリも満足していません。

独立してからたくさんの尊敬できる経営者にお会いする機会があり、貴重なお話を聞く中で、日本や世界で起きている様々な問題に目を向けるようになりました。

日本でただ何気なく生きているだけでは、見過ごしてしまいがちな問題が、世界にはまだまだたくさんあります。

いつかはそれら全てが解決されて、本当に平和な世界が訪れたらと願っています。

そのために、私ができることはこれからも全力でやっていくつもりです。

まだまだ未熟者ですが、尊敬する先輩方や、頼れる仲間の力を借りながら、これからも自分の夢に向かって走り続けたいと思います。

ーーーーーーーーーー関根朝之物語終わりーーーーーーーーーーー

【まとめ】人はいつでも変われる。一人で抱え込まないで。

ここまで私の過去の物語を読んでくださりありがとうございました。

子供の頃の私を知らない人から、「関根は才能があったからここまでやれたんだ」と言われることがあります。

けど、そんなことはないと断言します。

私はもともと才能なんて1ミリもなかったですし、頭も悪い、運動もできない、本当に何もできない、劣等感の塊のような人間でした。

まさに凡人の中の凡人。

うちの母親や、当時の学校のクラスメイトに聞いてもらえればわかるかと思います。

でも、そんな私でも変わることができました。

私がそうだったように、ちょっとしたきっかけさえあれば、人は誰でも変われるし、人生はめちゃくちゃ面白くなります。

ただ、多くの人がなかなかそうした「きっかけ」を得られないのも事実。

本来、そのきっかけとなる知識や体験、柔軟な考え方や発想を与えるのが「学校教育」の役目だと私は考えています。

しかし、日本の学校教育を見渡してみると、未だに1つの型にはめこむ旧態依然のスタイルから脱却できていません。

そうした教育が、かえって子どもたちの可能性を狭め、自己肯定感を低くしているのではないかと感じます。

あと、多くの人を見ていて思うのが、
皆一人で悩みを抱え込みすぎだということです。

これも日本の教育や空気感の弊害です。

「他人に迷惑をかけてはいけない」
「自分のことは自分でなんとかしないといけない」
「1つ飛び抜けてる人よりも、オール4やオール5の人が評価される」

だからみんな「完璧」を目指したがる。

私もそうでした。

ですが、社会に出てから、一人でできることなど、たかが知れているということに気づきました。

もちろん、相手に何も与えずにただ依存するだけではダメですが、一人で潰れてしまったら元も子もありません。

心が壊れてしまう前に誰かを頼りましょう。

私自身も一人で悩んでいた時は、何もかも上手く行きませんでした。

でも、高校生の頃に恩師と出会い、すべてが変わりました。

私は今でも一人ではできないことが多いです。

トレーニングとマインドフルネス以外は、本当に何もできません(笑)。

でも、ありがたいことに、今は自分ができないことを手伝ってくれたり、支えてくれる仲間が私の周りにはたくさんいます。

彼らにはいつも頼りっぱなしで、本当に感謝しかありません。

その代わり、私は自分にしかできないことを精一杯やって、彼らに恩返しして行くつもりです。

今は毎日がすごく充実していて楽しいです。

雑念に惑わされず、常に自分がやるべきこと、やりたいことに集中できているからですね。

時々集中しすぎて、頼まれたことや記念日を忘れてジムのトレーナーや奥さんに怒られますが。笑

でも、完璧な人間はいません。

大事なのはお互いに手を取り合うこと。

あなたは一人じゃない。

もし今何か悩みを抱えて苦しんでいたり、自分の生きてる意味を見失ったり、信頼できる人が周りにいなくて誰も頼れないなら、遠慮なく私に相談してください。

きっと力になれると思います。

以前、師匠や仲間や家族が私にしてくれたように、今度は私があなたの力になります。

人生はいつだって変えられる。

関根にコンタクトを取りたい方は下記のページからお願いします。

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私は現在プロの格闘家(日本ランキング最高2位)として日々練習に励む一方、都内で「日本一モデルが通うジム」を経営しています。
 
ただ、子供の頃はいじめられっ子で自分に自信がなく、勉強も運動もできない落ちこぼれでした。
 
そんな私でも自信を得ることができて、最愛のパートナーや信頼できる仲間に囲まれ、自分の天命と思える仕事に邁進する、幸せな毎日を送れるようになりました。
 
どんな人でも、いつでも人生は変えることができるんですよね。
 
ステータスやお金などの外的要因は一切関係なく、人生を上手く行かせる鍵はいつだって「自分の内面」にあります。
 
下記のページでは私を含め、多くの方が人生を変えた具体的な方法を公開しています。
 

「死にたい」と思っていた私が人生を逆転できた理由